2020年8月28日

HH役得:オレマーイの葉書

こちらは、HH展にご来場いただいたSさんご夫妻からの葉書です。島の旅がお好きとのことで、HH絵本と展示を楽しんでいただけたようです。「このハガキは、オレマーイがオニをやっつけたところを見ているぶたぶたくんを描いてみました」とのことですが、すごくいい感じです、こんな葉書をもらえるのも役得ですね。これなら、関係各位にも喜んでいただける(許していただける)のではないか、と。今回は、福音館の方々もそうですが、HH絵本のファンの方々にも多数ご来場いただきました、ありがとうございました。

2020年8月26日

HH役得:新発見の木彫写真

福音館の方からご紹介いただいた矢野満里子さんが所蔵されている木彫の写真作品です。コロナ禍という特殊事情によって、残念ながらご来場はいただけませんでしたが、後日お手紙と写真をお送りいただきました。矢野さんもかつて福音館にお勤めで、担当編集者として土方家に原稿を取りに行くのが楽しみだったそうです。思い切って作品を欲しいとお願いし、土方が渡そうとした絵は断り、この木彫作品を選ばれたそうです。

ちょっと見たことのないユニークな人物像で、南洋なのか日本なのか西洋なのか判然としないところも魅力的です。この作品も、今までの回顧展には出ていないようですが、まだ調査できていないため、暫定的に「新発見」とさせていただきます。いただいた写真では、表右下に「H・H・」刻、裏左下に「土方久功作」墨書がありますが、展示会などの際に張られる紙片は見当たりません。大きさは(約)24×29cmとのことです。

2020年8月25日

HH役得:木彫「少女像」写真

7/12「HH会オールスターズ土方久功の魅力を語る」の最後に、質問とともに登場し、会場騒然となった作品の写真です。所蔵は「吉田謙吉・資料編纂室」、作品は重いので、ほぼ同寸の写真をお持ちいただきました。吉田謙吉(1897-1982)は、舞台美術を中心に考現学採集、装幀、文筆業など多彩なジャンルで活躍した人物で、土方与志の模型舞台研究所(築地小劇場の前身)時代から土方久功とも親交がありました。

土方久功研究者の清水久夫さんにも確認していただきましたが、今までの回顧展で展示された記録はなく(生前の個展などで展示された可能性は否定できませんが)、新発見の木彫作品と言ってよいでしょう。似たようなモチーフの作品もないではありませんが、非常にユニークかつ魅力的な作品だと思いました。裏側には「少女像(サタワル島にて)」と書かれた土方自筆の紙が貼ってあり、大きさは(約)47.5×33.5cmだそうです。
お話によると、吉田家(12坪の家)に掛かっていたものだそうで、いただいた本『父・吉田謙吉と昭和モダン― 築地小劇場から「愉快な家」まで』にも写真が出ています。いやあ、こういう発見が、回顧展を企画する妙味というか、役得ですね。
リンク:塩澤珠江『父・吉田謙吉と昭和モダン 』2012年(草思社)
http://www.soshisha.com/book_search/detail/1_1877.html
リンク:ギャラリー季の風(「吉田謙吉・資料編纂室」準備中)
http://www.tokinokaze.com/

2020年8月24日

HH役得:ノチャボン(中島格さん)

今回の展示では、お越しいただいた方々のバックボーン(あるいは興味の対象)の幅広さからも土方の多様な魅力を再認識させられる企画となりました。中島敦ファンの方にも数多くご来場いただきました。そして、中島格(のぼる)さんです。
ひとわたり会場をご覧になって、帰り際(?)に「僕は、生前の土方さんにお会いしたことがあるんですよ」と仰って、「個展の会場にウィスキー持って行ったこともある」と。お話をうかがってみると、中島敦のご次男だと。そいえいば、丸眼鏡の風貌が、写真で見た中島敦に似ているような気も、、、もっと明るい感じ(?)ですが。

中島敦は、南洋滞在中に土方と親しくなりました。その間、日本に残した家族に宛てて多くの便りを送りました、何冊かの本でも紹介されています。それを読んでいたので、ああこの人がノチャボンなんだ、と(すいません)。
母上(たか夫人)に言われて、土方の個展を訪ね、母から預かったお金で水彩画を買ったこと、「買います」、「あげるよ」と押し問答になったこと、ご子息が卒業論文で土方久功を研究されたことなど、色々とうかがいました。
今回は、神奈川近代文学館からお聞きになったとのことで、「そりゃ、行かなきゃならんだろう」とお越しいただいたそうです、ありがとうございました。

2020年8月23日

HH役得:木彫「香草」

7/18にお越しいただいた伊原直子さんには、木彫「香草」をお持ちいただきました。ちょうど「土方久功日記」を読んでいるときに、NHK「日曜美術館アートシーン」をご覧になったとかで、暑い中、重い作品をご持参いただきました。クラシックやオペラのファンの方ならご存じでしょうが、伊原さんは声楽家として国内外で活躍され、教育者としても後進を指導されています(ウチでは後からCDを買いました)。
「久功おじさま」と思い出を語っていただきましが、久功の実兄の義妹のお嬢様にあたる方で、母上の澄子さんは「日記」にもよく登場されています。お持ちいただいた「香草」は、伊原さんの父上が「ぜひに」と頼んで譲り受けたそうですが、今も玄関に飾り、「行ってきます」、「ただいま」と声をかけておられるそうです。そんな愛着のある大事な作品ですが、「一緒に見てもらいたい」とのことで、7/18から展示させていただきました。

後で確認しましたら、1953年の丸善画廊での個展に出品されており、1991年の世田谷美術館での回顧展の際にも出品されていました。
ご存じの方からは、伊原さんに面影が似ている、モデルではないか、とのご意見もありましたが、制作年から考えるとそれはなさそうです。耳ピアス代わりに香りのする草を挿した南洋女性が題材でしょうが、確かに伊原さんと雰囲気が似ていて、そういうこともあるのかもしれないなあと思わせてくれる作品です。
本作が図録にも絵葉書にもないのは(キャプション手書き)、そういう事情です。

2020年8月22日

HH役得:木彫「横顔」

HH展のオープン準備中(6/20)に、美術コレクターの中村徹さんにお持ちいただきました。「最近入手した小品なんだけど、せっかくだから一緒に見てもらったらいいかと思って」と。某画廊で取り置きしていて、やっと引き取ってきた作品とのこと。
土方久功研究者の清水久夫さんにも鑑定(?)いただき、土方作品に間違いないだろうとお墨付きを得ました。ただ、小品なので、展覧会などに出品されたかどうかは不明とのこと。

中村さんは、ブロンズの土方作品(図録4「男」と同様のもの)もお持ちですが、裏に「俳優座十週年紀念」と刻まれておらず、当方所蔵のものとは微妙に違います。
今回は、「横顔」だけ展示させていただきましたが、本作が図録にも絵葉書にもないのは、会期直前にお持ちいただいたという事情によります。
土方の作品は、大作ももちろんですが、小品もいいんですよ、いいものを見させていただきました、これも役得です(続きます)。

中村さんについては、下記記事もご参照ください:
http://2222gmf.blogspot.com/2018/12/blog-post.html

2020年8月20日

9/13~10/5 第2回「地元の女性作家展:Female Artists Showcase in Kamata」開催します!

ギャラリー秋の企画展のご案内です!

今年は10人の地元の女性作家によるショーケースです。

主催:ギャラリー南製作所
後援:大田区
協力:公益財団法人大田区文化振興協会 
場所:144-0034 東京都大田区西糀谷2-22-2 ギャラリー南製作所
期間:2020年9月13日~10月5日 各日12:00~18:00 (水・木休み)

出品作家(50音順)
新垣美奈:アクリル
有田依句子:立体・石粉粘土
伊藤恵理:ミクストメディア
岩森咲季:立体・鉄
大原瑩子:油彩、アクリル
佐藤克子:油彩
高頭信子:日本画
宮川としえ:七宝工芸
守屋美加:油彩

連動企画
9/20(日)15:00~ギャラリートーク:木村拓也(龍子記念館学芸員)要予約・入場無料
10/3(土)17:00 ~コンサートライブ:tricolor「秋の音楽会」要予約・2000円

詳細につきましては、追って告知させていただきます。お楽しみに!

新型コロナウィルス感染症の状況によっては、展示、イベントが中止・変更になる可能性もございます。ご来場の際は事前にブログなどでご確認ください。

2020年8月13日

 豪雨(夕立?)の後に出てました。うちのバルコニーより

2020年8月10日

第2回「地元の女性作家展:Female Artists Showcase in Kamata」キックオフ

本日、猛暑の中、ギャラリーにて行われました!
これから1か月間ちょっとで本番です。
今年はどんなショーケース?

2020年8月5日

付:個人展覧会の為の前口上(1926)

  • 私は彫刻家になるつもりで美術学校に入ったのですが、美術学校を卒業する前に、彫刻の大家になって取りすますような気は毛頭無くなって了ったのです。(中略)
  • 私の彫刻はしかし、よそゆきではありません。日常の其時々のきまぐれな気楽な私なのです。其故見て下さる方々も変な既成概念を暫く忘れて、空っぽの心で見て下さるといいと思ひます。
  • 私の展覧会場では目を細くしたり、首をひねったり、こわい顔してにらみつけたり、ためいきをついて下さったりするような親切気は禁物です。どうぞ親しいお友達と笑ったり喋ったりしながら気楽に見て下さい。

『土方久功日記』1926年11月25日


人:多くの人に愛された人柄

  • HIJIKATA-SAN もしくは HIJIKATA-SENSEI の名は、今でもパラオやサタワルでは知られている。ただし、直接面識のあった人は少なくなっている。
  • やさしくて、色々教えてくれて、いい人だよ、という評価が聞かれる。
  • 旧南洋群島から関係者が来訪すると、顔を出してもてなした。また、旧南洋群島を訪れる人々には情報を提供し、仲介の労もとった。
  • 福音館では、土方家に原稿を取りに行く役を、皆がやりたがったという。
  • 自身に子供はなかったが、甥姪に対していつも優しく接していた。加えて、自宅近くの子供たちの評判・人気は絶大だった。
  • 土方自身とともに、開業医だった敬子夫人にお世話になった人も多い。 

絵:こどもの絵本と南洋の物語

  • 世田谷で義弟・川名嵩久一家と同居していた時、姪の邦子に南洋の話やぶたぶたくんの話を語り聞かせたていたという。
  • 1963年には、『おおきなかぬー』と『山の上の火』の絵を描いた。
  • 1965年『ゆかいなさんぽ』、1970年『ぶたぶたくんのおかいもの』、1975年『おによりつよいおれまーい』が発行された。
  • 後に、福音館書店の松井直が土方の絵本を世に出した経緯を著書で語っている(1990年『絵本・物語るよろこび』)。
  • 「こどものとも」の4冊の他に、保護者向け「母の友」にも原稿を提供した。
  • 福音館から出た絵本の原画は、宮城県美術館に収蔵されている。 

2020年8月4日

文:文筆活動と中島敦

  • 生涯にわたって、様々な媒体に文章を提供した。南洋関係、民族学、詩、演劇、エッセイ、挿絵など広範囲にわたる。
  • 媒体も、単著、分担執筆、雑誌、新聞、講演、ラジオ、テレビなど多様である。
  • 特筆すべきは、作家・中島敦(1909年~1942年)との交友で、中島が南洋庁教科書編修書記としてパラオに来た1941年から親交を深めた。
  • パラオでは、中島は土方の官舎に入り浸り、土方の日記を読むことを許されるほど親しく、中島の著作には、土方日記から採集したものが含まれる。「南島譚」(幸福、夫婦、雞)、「環礁―ミクロネシヤ巡島記抄―」(寂しい島、夾竹桃の家の女、ナポレオン、真昼、マリヤン、風物抄)など。 
  • 中島没後も、全集発行の際には、装丁や挿絵、月報への寄稿など尽力した。 

民:ミクロネシアの民族学調査

  • 1929年3月~1931年9月、パラオで調査を行った。ア・バイ(現地の集会所)の絵を模写、民話を採集し、現地語を覚えた。
  • 1931年10月~1938年12月、より文明の及んでいない場所を探し、ヤップ離島サテワヌ島にて7年を過ごし、詳細な記録を残した。
  • 1939年1月、パラオに戻り、 3月から南洋庁嘱託として公的調査にも携わった。現地調査に訪れた多くの研究者を案内した。1942年3月、帰国。
  • 生前に、南洋群島文化協会から出た3冊の他に、1942年『パラオの神話伝説』、1943年『流木』、1953年『サテワヌ島民話』を発行。
  • 没後に、敬子夫人の尽力により、1990年~1993年『土方久功著作集 第1~8巻』が発行された。1993年~1997年には英訳版(抄録)4冊も出た。 

画:スケッチから水彩へ

  • 土方の木彫は、カイバックルと言われる南洋の手斧で「ガチンガチン」と彫る手法であり、病気や体力の衰えとともに制作が困難になった。
  • 木彫と並行して塑造(油土)による立体作品の制作も手掛けたが、さらに体力が衰えると水彩画を描くことが多くなった。
  • 若い頃から多数のスケッチを残し、それをもとに木彫や塑像を制作していたこともあり、スケッチと立体、水彩で同じモチーフが見られる。
  • 俳優座研究所で、1951年~1965年まで、ほぼ週1回のペースで、モデルを使ったクロッキーの会に参加、デッサンを教え、自分も描いた。
  • 出品作のデッサンは、その頃のものと推定される。同じく水彩画は、末期の作(習作を含む)と推定される。 

2020年8月3日

彫:イタボリをパラオに広めた

  • パラオ渡航後の1929年6月、南洋庁の嘱託に採用され、各地の公学校(島民向けの初等学校)を巡回し、生徒に木彫を教えた。ア・バイ(現地の集会所)に残る伝説を描いた絵を手本にするよう指導したという。
  • 南洋庁がパラオ独自の土産物を作るために考案したものらしいが、土方の指導よろしく、後進の生徒達が受け継いだ。
  • イタボリは土方の木彫(平彫り)と似て、板にパラオの神話伝説が彫り込まれたもの、現在ではパラオの代表的な土産物である。
  • 現在は英語で STORY BOARD(ストリー・ボード)と呼ばれるが、IDABORI(イタボリ)と日本語そのままでも通用する。
  • 多くのイタボリ職人から、師(MASTER)としてHIJIKATA‐SENSEIは知られる。

劇:土方与志と築地小劇場

  • 1919年、土方与志が自邸に開いた模型舞台研究所(築地小劇場の前身)を手伝った。他に、伊藤熹朔、千田是也、岩村和雄、吉田謙吉など。
  • 1924年、土方与志が創設した築地小劇場の葡萄のマークを制作、舞台や小道具の制作を手伝い、ときには出演もした。ほぼすべての芝居を観ており、日記に詳細な感想が残されている。ドイツ表現主義に触れ、後に演劇的絵画とも言える作品を制作する機縁となったのかもしれない。
  • 築地小劇場の分裂後も、多くの演劇関係者との交友が続き、俳優座劇場のレリーフや記念品などを制作、彫刻展も開催した。
  • 出品作の「首(俳優座10周年記念) 」 、「小品(俳優座20周年記念) 」 、「肖像(青山杉作像)」などもその縁で制作されたもの。 

塑:東京美術学校彫刻科塑造部

  • 1919年4月、東京美術学校(現・東京藝術大学)彫刻科塑造部に入学。最もお金のかからない官立学校だったのが、美校を選んだ理由と語っている。
  • 指導教官は建畠大夢。彫刻科の同期には、小室達、三澤寛、江波知彰など。油彩画科では、小泉清、岡鹿之助など。
  • 1924年3月、卒業。その年の二科展、翌々年の院展に出品したが、いずれも落選。官展の写実重視の風潮には批判的であった。
  • 1927年2月、丸善画廊で初の個展(彫刻30点を展示)。美校では塑造が専門だったが、この頃から木彫も手掛けるようになった。
  • 戦災などで失われたため、この時期の作品で残っているものは多くないが、出品作の「マスク」は貴重な作品である。

2020年8月2日

詩:川路柳虹と5冊の詩集

  • 1924年、原稿を持って川路柳虹(詩人・美術評論家)を訪ねた。その後、『日本詩人』に詩を投稿。
  • 1926年、川路が主宰する月刊詩誌『炬火』創刊、同人に加わり、詩を発表。1927年、初個展の際には、美術評論家でもあった川路に推薦文を書いてもらった。
  • 1939年の一時帰国の際には、川路門下の人々の尽力により、弟子の個展「南洋彫刻家杉浦佐助作品展」が開催された。
  • 生前に、1953年『文化の果てにて』、 1955年『非詩集ボロ』、1956年『青蜥蜴の夢』、1965年『旅・庭・昔』、1966年『鵯と共に』の5冊の詩集を発行。
  • 没後に、敬子夫人の手により、1978年『土方久功遺稿詩集』、1982年『土方久功詩集青蜥蜴の夢』が出た。

記:55年間書き続けた日記

  • 1922年7月~1977年1月まで、克明な日記を大学ノート123冊に書いた。
  • 日々の記録、交友関係、考えたことだけではなく、本、美術、演劇、音楽の感想、詩、スケッチ、民族学調査記録などが詳細に記録されている。
  • 1943年に発行された『流木』は日記をもとに編集されたもの。
  • 執筆依頼、取材を受けた際には、自身の日記を振り返ってまとめている。
  • 1986年7月、ミクロネシア関連の資料、ノートとともに日記122冊は、国立民族学博物館に寄贈された(その後、アーカイブ化された)。
  • 2010年~2014年、日記の31冊目までが、『土方久功日記Ⅰ~Ⅴ』として翻刻・公刊された(編集:須藤健一、清水久夫、国立民族学博物館発行)。

HH120年展:副題の解題

前回3年前の土方展では「南の島の光と風と夢」としていました。土方が親しかった中島敦の小説の題名から借りたのですが。今回は「記・詩・塑・劇・彫・画・民・文・絵・人」としました。が、少し分かりにくかったようです。英文副題「Various Works of Hisakatsu HIJIKATA」は前回と同じ、土方の多様な業績と魅力を知っていただきたいという趣旨は変わっていません。

いくつかご質問もいただいたので、即席でスライドを作成し、会場で投影していました。という訳で、展示が終わってからですが、スライドから「副題の解題」を抜粋して残しておきます。最初に、略年譜を入れておきましょう。

土方久功:1900年~1977年

  • 1900年7月13日、父・土方久路と母・初栄(海軍大将、男爵・柴山矢八の長女)の次男として、東京・小石川に生まれた。父・久路の長兄は、伯爵・土方久元。2歳上の土方与志は、土方久元の孫にあたる。  
  • 1906年4月、学習院初等科に入学。1917年3月、学習院中等科を卒業。
  • 1919年4月、東京美術学校彫刻科に入学。1924年3月、卒業。
  • 1929年3月、パラオへ渡航。1942年3月の帰国まで、旧南洋群島に過ごした。
  • 1942年9月、帰国後、医師の川名敬子と結婚。
  • 1948年3月、疎開先の岐阜・土田村から東京・世田谷に転居。後に、自宅にアトリエを増築し、本格的に創作活動を再開。
  • 1977年1月、心不全で逝去、享年76。


2020年8月1日

季刊民族学173号

分担執筆された清水久夫さんからお送りいただきました。国立民族学博物館協力、一般財団法人千里文化財団発行、国立民族学博物館友の会の機関紙です。特集「土方久功と中島敦のパラオの日々」、巻頭は清水久夫さんの論文です(今回ご講演いただいた中生勝美さんの論文(非土方)も載っています)。ちなみに、ギャラリー所蔵の「パンの実と子供」の写真も掲載されています、清水さんありがとうございました。
リンク:https://www.senri-f.or.jp/173%E5%8F%B7%E3%80%802020%E5%B9%B4-%E5%A4%8F/2020/07/31/

柳屋の鯛焼

非常勤総務@久しぶりに自宅です、排水管清掃と防火設備点検があったからですが、、、。で、オーナー(妻)が買ってきてくれました。半年ぶりくらいですかね、甘いものはさほどでもないのですが、美味かったです、疲れてるんでしょうね。